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春夏秋冬

中学校社会科教師の考えている事:
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〜進学塾(中学・高校受験)の講師・教室長として民間企業で10年以上勤務した後、公立中学の教諭となりました〜
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濃尾平野
織田信長の全国制覇の経済的背景にあげられるのは、濃尾平野の農業生産力である。

岐阜・愛知、つまり美濃・尾張に広がるから「濃尾平野」と言う。

地理で木曽川・長良川・揖斐川の木曽三川が集まる濃尾平野は「輪中地帯」として教えるが、水害だけでなくその豊かな水資源と広大な平野は、米を中心とした豊富な農作物生産地帯である。

岐阜県で鵜飼の有名な長良川沿いに金華山という小山があり、この山頂に稲葉山城という山城がある。

美濃斎藤氏の居城で、斎藤道三のあと家督を継いだ斎藤義龍の急死後、斎藤龍興が城主となったが政務を顧みなかったので、これを諌めるため竹中半兵衛が20名足らずでわずか1日で奪取し、半年後に返還した城である。

この美濃・稲葉山城に移った織田信長は城と町の名を「岐阜」と改め、「天下布武」の朱印を使い始める。

さて、現在はロープウェイで登ることのできるこの岐阜城に立つと、濃尾平野が伊勢湾・名古屋港まで一望できる。その広大さは(日本国内では)すさまじく、この平野を手に入れた信長は、天下統一の可能性を感じることができたはずである。

現地に立つと必ずそのことが実感できるはずで、ぜひ訪れてほしい。史跡踏査の大切さである。
| 春秋里(haruakisato) | 歴史:日本史・世界史 | 07:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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