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春夏秋冬

中学校社会科教師の考えている事:
家族・子育て・仕事・学校・社会・歴史・趣味・etc・・・
〜進学塾(中学・高校受験)の講師・教室長として民間企業で10年以上勤務した後、公立中学の教諭となりました〜
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更新してないのに

こちらのブログを更新しなくなってずいぶん経ちますが、アクセスはいまだにあるようです。
昨年からFacebookのほうで近況報告しています。
卒業生・卒塾生の友達申請は受け付けます。

| 春秋里(haruakisato) | つぶやき | 20:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
高校講師代のキャッチコピー

高校講師時代(20代)の頃、教え子が僕につけたキャッチ・コピー

そよ風のような嫌味
 さざ波のような皮肉
    火のような毒舌

う〜ん、とんがってたなあ・・・

| 春秋里(haruakisato) | つぶやき | 23:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
日本の子育て
 選挙から一夜、選挙結果を分析する報道を読み、見聞きしながら今後の日本の内政・外交を想う。
「子供は家庭が育てる」自民が、「子供は社会が育てる」民主に勝ったことで、教育・子育て支援は後退し、少子化は今後も続くだろう。
「家庭が…」という保守派は、日本で核家族が広まった戦後よりも、戦前以前の方がよほど「社会が子供を育てていた」ことを理解しているのだろうか?
今や「家庭が子供をしっかり育てる」状態を作るには、「親を教育する」ところから始めなければならないのだが…。
| 春秋里(haruakisato) | つぶやき | 06:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ヒミツの大阪
「ケンミンショー」でたびたび取りあげられてきたとおり、大阪は他府県と違う文化・風土がある。
それは、太閤・秀吉の頃から江戸時代にかけて商都として発展し、確固たる文化・風土を築いてきた自信に基づくもので、たしかに合理的な習慣も多い。
ではなぜ?その大阪文化が他府県には広がらず、大阪だけが独自に発展・継承しているのだろう・・・

自分が思うにそれは「人間関係の距離感による」ものだと思う。
よく大阪人のノリの良さや街の雰囲気が、「アジアの都市」に例えられるが、そうした誰に対しても家族的な振る舞いをする街は、現代日本では大阪か沖縄ぐらいである。
近代化され、核家族化し、マスメディアによって均質化された現代日本において、そうした平均化・均質化を大阪や沖縄が受けつけないのは、街ごと一家(すなわち家族)のノリ(内輪ノリ)だからである。

ご近所でも、職場の同僚でも、偶然知り合った赤の他人でも、家族同様のしゃべり方で話しかけ、家族同様にノリ・ツッコミを求める。
こうした、ある意味礼節を欠いた軽くて濃い人間関係は、家族的であると同時に、自分(身内)にとっては「楽な」仲間内の世界、気心の知れた肩の凝らない人間関係の中で生きることになる。そうして、大阪文化は大阪人に共有されて継続し、他府県には広がらない。それは、大阪に産まれ育ち働いている自分が、大阪の中心部(大阪市内)の雰囲気に馴染めず、大阪府下の新興住宅地に生まれ育ち、今も住みつづけていることからくる実感でもある。

そして今、大阪の府立高校の講師経験を経て、府下の進学塾に就職した後、大阪市の中学校教諭となってみて、府と市の文化の違い(府は大阪ノリがまだマシで、市はコテコテの大阪人ばかり)に改めて違和感を覚え、驚いてもいる。
たぶん、市と府は役所の文化もまったく違い、教育委員会の対応も違うように思う。で、どちらが全国標準(スタンダード)に近いか?といえば、もちろん府の方で、市はまだまだ馴れ馴れし過ぎ、それを周囲に押しつける「あつかましさ」を感じる。
それゆえ、大阪を変えるには市から変える(市を解体する)ほかなく、橋下徹が市庁に乗り込んで来たのだ。
| 春秋里(haruakisato) | つぶやき | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
修学旅行(女性の力)
2年連続で3年生の担任となったので、2年連続で修学旅行に参加した。
昨年とほぼ同じ行程の旅行で、かつ分宿だった昨年と違い今年はホテル全館貸し切りの2連泊だったので、少し余裕のある仕事ができた。
自分としては、いきなり3年生から受け持つクラスなので、まずは学級担任として「クラス作り」を目指した修学旅行で、カギは「女子達が仲良くできるか?」だった。

だいたいどの国でも、どの職場でも、現代は女性が陰に陽に中心となって動かしている場合が多い。
松田道雄に「私は女性にしか期待しない」という著作があるが、子どもたち(男も女も)を産み・育て・(飯を作って食わせ)てきたのは女性である。
(宮崎駿のアニメ「もののけ姫」にも、「良い村は女たちが元気」的なセリフがある。)
つまり、家庭は女性が動かし、今や社会も女性が動かしつつあるのだ。これは世界共通の真理だろう。
また、女たちが中心となって外との交際・交流(平和的な外交)、つまりは世間でいう「おつきあい」のネットワークを広げて、社会を円滑にしている。
この社交性は、女性は幼児からみられ、そのため社会的にも精神的にも女の方が、早く深く「大人」になっていく。
中学生の男女の精神年齢の差のどれほど大きいことか!
だから、女の子を中心にクラスを作ればまず失敗することはない。

で、修学旅行でそのへんを意識して、レクリエーションなどをやらせてみたわけだが、これが・・・・、かなり大成功だったのでは?
と、帰校した今の感想である。
| 春秋里(haruakisato) | つぶやき | 00:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
記事について
仕事の愚痴や、趣味やらテキトーにつぶやいているこのブログだが、どうも同僚や生徒の一部に読まれている形跡があり、時々休止したり、 「仕事・教師論」や「生徒にした話」を非表示にしたりしてしのいできたが、あらかた公開することにした。
そんな気にする必要もなさそうだし、あくまで匿名のブログだし、記事に固有名詞載せてる訳でなし、内容に責任は持てないが自信がもてない訳でなし…。
まぁ、突っ込まれるかもしらんけど、何んとかやっていけそうだし、新年度は現場が面白くなりそう(できそう)だし。
| 春秋里(haruakisato) | つぶやき | 23:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
甘っ・・・!
大卒の就職が厳しいそうだ。
失われた20年が終わった途端の震災・円高、また高卒の就職が難しいから、大学に進学する大学全入の時代なので、大卒のレベルが下がっていることも原因だ。
ただほかに感じるのは、若者が世の中に甘えているといることだ。
自分自身も世の中をだいぶ甘くみて痛い目にあってきたので偉そうなことは言えないのだが、これだけワーキングプアだの若年失業だの報道され、問題になっているのに、大学で遊びまくって、勉強も資格も技術もコネもつくらずに、「年配の社員の権利を守るために、若者がハケンに甘んじ、理不尽な世代間格差が開いている」などと甘えたことばかり言っている。
で、デモや社会運動が盛り上がるかと言えば、そうではなく、「本当に厳しいんですよ〜」「わかってください」とぼやくばかり。
お前達は、碇シンジ君か!?
甘えたことを言っていたら、誰かが何とかしてくれるのか?
おそらく、周囲(親や先生)が何とかしてくれたから、そんな若者が育っている(増えている)のだろう。
ゆとり教育(競争排除)の帰結がここにある(気がする)。

横並びの日本社会では、外部から競争を持ち込まない限り、競争を排除した状態では各人が自分の価値観で前へ進む上昇志向ではなく、誰もが楽をしたがる「甘え」が発生する。公務員の世界もまたしかり…。
| 春秋里(haruakisato) | つぶやき | 15:18 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
自分ノート
人に「いや」といえない性格の自分は、相手や周囲を分析することで、(頭で)相手を理解したつもりになって、心理的な優位を保とうとしている。
この「知」に走る性格・言動が、人に共感できない・弱者に厳しい「自分」の自己分析だ。
分析を自分にもむける、いや向けたい。
それが客観性を保証する。

自分の卒論・修論のテーマである「加藤正」の客観性論と同じだ。
| 春秋里(haruakisato) | つぶやき | 22:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
弱者・敗者に冷たい自分
自分自身ではあまり気づかなかったが、俺は「弱者・敗者に冷たい」らしい。
最も身近な人間の指摘なので、間違いのないところだと思う。
たしかに、新聞やテレビまた生徒を見ていて、「それは自己責任だ」と批判することが多い。

自分自身が社会的弱者・敗者という環境で育ったので、青年時代は政治運動・社会運動に身を投じた時期がある。
だが、「かつての学生運動(1968〜70年代前半)で、運動に参加した者に、『母子家庭』の子供の割合が多かった」という記事を読んだことで、なんだか謎が解けたような気がした。
つまり、母子家庭に育った子供は、「受容的な母性」の影響を受けながら、「威厳的な父性」に欠けるため、「社会を父にみたて」て、「父さん、がんばってる僕を認めてよ。僕ら経済的弱者を助けてよ」という、「甘え」の感情の裏返しとして、身近に反発・反抗できる父がいないため、社会に反抗するのだ(単なる反抗期の子供)。
この心理的分析はある面で正鵠を射た指摘だと思う(実際、自分の心理を見透かされたような気がした)。

であるから、そうした社会運動・学生運動が資本主義社会の豊かさ・競争社会の論理に敗れた80年代以降、かつて「新左翼」の立場で運動をおこなった若者が、新保守主義や新自由主義の論客へと転身していったのだ。

自分も同じ。
聞こえない叫びを叫んでも、社会を分析・理解しても、地縁・血縁・門閥・閨閥・コネで動く旧習の年功序列社会がびくともしないと知った後、不条理なその社会を揺さぶり動かし、客観的な「平等」理念がちゃんと通る社会に変えてゆくためには、「結果の平等(社会主義)」ではなく、「過程の『実力主義』と結果の『成果主義』」という、個人で人を評価する競争社会のほうがよほど「平等」であり、2世3世のボンボンを蹴落とすことができる。

こうして(アメリカ的な)企業の論理(実力主義)を振りまわす新自由主義的な「自己責任論」が、僕らをとらえ、「甘えるな、甘えても社会は何もしてくれない。それより勉強しろ、自分を鍛えろ、そうすれば実力で這い上がれる」という、今の自分の教育理念のひとつが産まれたのだ。
慰めと癒しは、弱者が強者にもとめるルサンチマンなのではないか?
であるなら…、いや、だから、自分の生まれた環境への恨みをバネに、戦え。甘えるな。情報を待つな、取りに行け。

まだ分析は必要で、「ニーチェやハイデガーがナチズムへの通路を用意したこと」とも繋がる危うい面はあるのだが、それが、「本当は弱者・敗者の立場に立ちたい自分」が、「弱者に冷たい批判」をあびせる理由だ。
と、自己分析している。
| 春秋里(haruakisato) | つぶやき | 07:11 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
すべて想定されていた
毎日新聞より
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/
20110329k0000m070181000c.html


 原発事故の報道に強烈な居心地の悪さを感じている。その理由を突き詰めていくと、メディアが安易に使う「想定を超えた」という言葉のせいだと思い至る。眼前で今起きている事態は本当に想定外だったのか。

 《最大の水位上昇がおこっても敷地の地盤高(海抜6m以上)を越えることはないというが、1605年東海・南海巨大津波地震のような断層運動が併発すれば、それを越える大津波もありうる》

 《外部電源が止まり、ディーゼル発電機が動かず、バッテリーも機能しないというような事態がおこりかねない》

 《炉心溶融が生ずる恐れは強い。そうなると、さらに水蒸気爆発や水素爆発がおこって格納容器や原子炉建屋が破壊される》

 《4基すべてが同時に事故をおこすこともありうるし(中略)、爆発事故が使用済み燃料貯蔵プールに波及すれば、ジルコニウム火災などを通じて放出放射能がいっそう莫大(ばくだい)になるという推測もある》

 すべて岩波書店の雑誌「科学」の97年10月号に載った論文「原発震災〜破滅を避けるために」から引いた。筆者は地震学の権威、神戸大の石橋克彦氏。つまり今回起きたことは、碩学(せきがく)によって14年も前に恐ろしいほどの正確さで想定されていたのだ。

 石橋氏はその後も警鐘を鳴らし続け、05年には衆院の公聴会でも同様の警告を発している。電力会社や原子力の専門家たちの「ありえない」という言葉を疑いもせず、「地震大国日本は原子力からの脱却に向けて努力を」との彼の訴えに、私たちメディアや政治家がくみしなかっただけなのだ。

 05年の公聴会で石橋氏はこうも警告している。日本列島のほぼ全域が大地震の静穏期を終えて活動期に入りつつあり、西日本でも今世紀半ばまでに大津波を伴う巨大地震がほぼ確実に起こる、と。

| 春秋里(haruakisato) | つぶやき | 22:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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